パトナからバイシャリへ移動です。朝が早いため車内で弁当です。行程2時間何とも情けない移動です。見てくださいこの砂埃 。そして車はこの狭い道で前のバスを追い抜こうとしています。
バイシャリは私の最も好きなところです。ブッダ最後の旅では [第二章 八 遊女アンバパーリーで 自分の寿命が長くないと覚ったブッダはバイシャリにとどまり遊女アンバパーリーからの食事の招待を受け快く承諾します。 その後土地のカーストの高いリッチャヴィ人がブッダに自分たちの宴に来るようお願いしますが、ブッダはアンバパーリーに招待されているからと断ります。 以下は第二章の[八、遊女アンバパーリー]です。 『一九 ・・・・・・一方に座した遊女アンバパーリーは尊師に次のように言った。 「尊い方よ。わたくしはこの園林を、ブッダを上首とする修行僧のつどいに献上します」と。 尊師はそのマンゴー園を受けた。そこで尊師は<法に関する講話>をもってかの女を教え、諭し、励まし、喜ばせ座から 起って、去って行った。 「・・・・・・知恵とともに修養された心はもろもろの汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから全く 解脱する。」と』 アンバパーリーもまたブッダの敬虔な信者になったのです。 アショカ王はブッダの最後の説法を記念しこの大きなストゥーパと石柱を立て仏舎利をまつりました。 ヒンズー教のカースト制度の中で王子様だったブッダが一番身分の低い遊女を自分と同列に扱い、宴に招待され、法を説くので すからブッダは本当に覚った人だったのです。
ケッサリアの小さな建物が見えてきました。ここは遊女アンバパーリーのマンゴー園だったところです。アンバパーリーのため に後からストゥーパがたてられ仏舎利を埋葬しました。
仏舎利が出土したストゥーパで風化を守るためドーム型の屋根で覆われています。
ブッダが霊鷲山から下山して最初の瞑想の時に猿から蜂蜜ををもたって食べたところです。アショカ王がたてた石柱が高く そびえています。
まだまだ発掘されていない遺跡が多くあります。
また4時間移動です。途中でケーサリヤーのストゥーパです。ブッダはここでお坊さんになりました。発掘中です。ブッダが 托鉢した時のお椀が出てきました。 広大な敷地が発掘されるそうです。世界遺産級の遺跡が数多く眠っているそうです。
道路から修理です。
仏陀は最後にクシーナガルと言う地名の沙羅双樹の下で涅槃に入りました。 涅槃に入った場所は沙羅の木が対になっていて沙羅双樹だそうで、沙羅双樹がまた対になって 4本の木下で涅槃に入ったそうです。 涅槃像の建物の入り口です。ここの大木は沙羅双樹です。葉を拾ってきました。
沙羅双樹の葉です。
涅槃像です。ここでは皆さん立って涅槃像を右回りにお経を唱えていましたので、私も座って1回、立って 右回り3回、計4回唱えさせて頂きました。インドでは仏陀の一番弟子はアーナンダだそうで舎利子ではないそうです。涅槃に入るそのときアーナンダは仏陀のそばにいませんでした。今でも帰っていないのでベッドの横にあるレリーフにアーナンダのレリーフはありません。
涅槃像の建物です。後ろのドームが入滅の地です。 ここのドームの中には沙羅双樹の4本の木があって、その木の間で ブッダは涅槃には入りました。あの女性のガンジー首相は、この木が朽ちないようにドームを作りました。 余談ですがガンジー首相はカーストが低く、優秀であるにも拘わらず、そのままでは首相になれません。ネール首相は自分の養女にし、カーストを高くして首相にしました。名字が異なるのは結婚したからですとyadavさんは言っていました。
ここでブッダ最後の旅は終わりますがツアーはブッダの生誕地ネパールのルンビニへと続きます。