お釈迦様は霊鷲山で6年間の瞑想を行いましたが覚りが開けず山から降りて尼連禅河のほとりスジャータ村に来ました。
スジャータさんとの出会いには様々な説明があり、私もどれが本当かわかりませんがyadavさんの説明に従います。 山を下りた仏陀は尼連禅河の近くの菩提樹の下で飲まず食わずの苦行をします。あばら骨が出ています。
私はここで般若心経を上げさせてもらいお賽銭を上げました。帰ろうとすると写真の方をはじめ7,8名の方がお金をもっとくれというのです。yadabvさんに聞いたらこの遺跡を守っている方々だそうで、もう500ルピー出しました。そしたらその方々全員が私を囲みお経で祈りを捧げてくれました。その後が大変です。周りに居た子供たちがお金をくれと私を取り囲み大変でした。
この苦行の最中に村長さんの娘スジャータさんが子供を授けてくださいとお願いしました。スジャータさんは願い通り子供を授かり、仏陀のやつれた姿を見て乳粥を差し出します。仏陀はその乳粥のお陰で体力を回復し覚りを開くことが出来ました。
体力を回復した仏陀は尼連禅河に行き沐浴をしました。
yadavさんは尼連禅河まで降りて砂を取ってきてくれましたので,お土産に持って帰りました。
沐浴の後、身も心も充実し着物も着替えて覚りを開いた人として説法をすることになります。 この時、仏陀が女性から粥を恵んでもらったということから弟子たちが仏陀に反発して逃げてしまいます。しかし彼らたちは自分の誤りに気づき仏陀の元へ戻りました。 仏陀は大パリニッバーナ経第二章[六、ナーディカ村]の7項の中でスジャータさんについて以下のように言っています。 「アーナンダよ。スジャータという在俗信女は、3つの束縛を滅ぼしつくしたから、<聖者の流れに踏み入った人>であり、悪いところに堕することの無い決まりであって必ず覚りを達成するはずである。」スジャータさんは仏陀の言ったとおり仏陀の敬虔な弟子になりました。
スジャータ村にはスジャータさんのお墓があります。スリランカから団体バスで大勢の信者が参拝 に来ていました。
お墓の説明です。
元気になったブッダはブッダガヤの大きな菩提樹の下で瞑想にふけります。 そこがこの世界遺産マハーボディ寺院です。入り口でインドの世界遺産を巡る共通入場券を250ルピーで買いました。20遺跡くらいは入れます。
寺院の仏像です。暗くて写真がぼけてしまいました。
仏陀は覚りの後ブッダガヤで7週間過ごします。最初の1週間はこの大きな菩提樹の下で瞑想します。この菩提樹は当時の菩提樹から数えて四代目だそうです。当時の菩提樹は今はありませんが、2代目の菩提樹はミャンマーの有名なお寺にあるそうです。
仏陀が瞑想にふけった金剛宝座(ヴァジラサナ)はマハーボディー寺院と菩提樹の間にあります。 ここには仏陀の足跡を形取った石もあります。
ここで私は3回般若心経を唱えさせてもらいました。
その後瞑想にふけりましたが当然覚りは開けませんでした。 覚りは開けるんでしょうかねー?
今の時期菩提樹は葉っぱの生え替わりがないので落ち葉は貴重品です。ここでは運良く金剛宝座の守衛さんから菩提樹の葉を2枚もらうことができました。
この寺院を含めインド全体の仏教の遺産は7世紀から入ってきたイスラム教徒により、13世紀に すべて破壊され土の中に埋もれていたなんて想像を絶しますね。今日があるのは19世紀 に、インドが英国の植民地になり、英国の考古学者により発掘されてきたからです。 以上はyadavさんの説明です。ただし霊鷲山は日本人の大谷探検隊により発掘されました。 それ故多宝山には南無妙法蓮華経の日本寺があるのです。
ブッダガヤの旅は終わり、ナーランダ大学の遺跡へまいります。