ラージギルの旅

苦行の霊鷲山と多宝山、ビンビサーラ刑務所跡など

大パリニッバーナ経の第1章の最初には 【あるとき尊師は王舎城の<鷲の峰>におられた。】 とあります。この時仏陀は80歳、若くして苦行を6年間も行った鷲の峰から降りて北へ北へと旅をします。その行程は約420kmもあります。 よくもまあ80歳にもなってこんな長い距離を旅したんだろうなんて考えても、車の旅では神髄はわかりません。

しかし私は9月1日、私の誕生日ですがこの日に<鷲の峰>つまり霊鷲山ですが、山に登り、日の出に間に合うようにと4時頃ホテルを出ました。9月は雨期の最後でして無情にも空は厚い雲に覆われていました。山の麓まで車で30分ほどでしたが、着いたときはまだ真っ暗で山への登山道は門扉が閉ざされており、車の中で待ちました。駐車場は野良牛が10数頭いまして、牛の糞だらけで、車から出て歩くことも出来ません。 車中で1時間くらい仮寝したら外が薄明るくなったので山に登ることになりました。 門扉の手前で薄明かりの中で山を見上げると頂上が見えました。私は興奮して早く上ろうと山頂を見上げながら右足を一歩進めたところ、そこには段差がありまして躓き、左手で持っていたカメラを道路に打ち付けないように転びました。右腕に2カ所かすり傷で済みました。カメラもほんの少しのかすり傷で済みました。yadavさんからお釈迦様のお陰で軽く済んだと慰められながら登ります。 この道は約2500年前時のマダカ国ビンビサーラ王がお釈迦様の説法を聞くために、麓から石畳で作ったそうです。

これから霊鷲山に上ります。まだ暗いうちに登山口を出発です。時には虎や山賊が出るそうです。yadavさんには【私から絶対離れるな】といわれました。

まだ暗かったです。

15分ほど上ると仏陀が修行したことのある岩穴がありました。 写っているのはガイドのyadavさんです。 まだ暗いのでフラッシュを使っています。

少し上ると野良牛のいる広場に出ました。野良牛は神様の使いですから仏陀もきっとこの牛のご先祖さんを見ていたことでしょう。

やっと頂上に着きました。岩の右後ろのとがった岩が鷲の頭に似ている。私は仏陀が修行した場所にに来ることが出来たんだと何とも言いがたい感動に包まれました。5時54分でした。yadavさんによると私の足は普通の方よりだいぶ速いらしいです。

仏陀が瞑想にふけった場所です。私の右肘、赤い擦り傷は登山口で転んだ時のものです。靴を脱いで

礼をし

般若心経を3回唱えさせて頂きました。 この後前方に山(多宝山という)山へ登ります。

多宝山は少し来た道を下りまたしばらく山を登ります。写真真ん中から山を登る道が少しだけ見えています。

来た道を5分ほど戻り、右に曲がり山頂を目指して登ります。

先にはスリランカから来た信者が団体で来ていました。

20分程上ると山頂のケーブルカー駅がありましたが、未だ朝早いので動いていません。左の奥の方ですがここからは見えません。

やっと山頂が見えてきました。

山頂にはなんと近代的なストゥーパがありました。ストゥーパの中程に通路 があり、日本人らしきお坊さんがいましたので「日本から来たのですか?」 と声をかけました。なんとその方は昭和30年頃、このストゥーパを建立する ときこちらに来て、このお寺の住職さんになったのだそうです。その頃は小学生 だと聞きました。

ストゥーパの横に本堂がありました。そこで参拝帳に記帳し般若心経を唱え させて頂きました。地下が住居になっていて、お茶をご馳走になりながら1時間ほど世間話をしてここを去りました。出身は神奈川県だそうで話が弾みました。 和尚さんは年一回ほど日本に戻ると言うことでしたが何となく懐かしそうでした。

しかし後から考えたらここのお寺は南無妙法蓮華経とあったので般若心経 は適切では無かったかな?

帰りになっても未だロープウェーは動きません。歩いて降りることにしました。

麓まで戻り、車で5分ちょっとしたところにビンビサーラ国王の王舎城址があります。

城壁跡です。轍も残っています。

ここは牢獄跡です。後にビンビサーラ国王は息子のアジャータシャトル王子にこの牢獄に幽閉されました。 仏陀は霊鷲山から毎日牢獄の窓を眺め、ビンビサーラ国王の境遇を嘆き悲しみました。この時のことを釈尊が説かれたのが 『観無量寿経』だそうです。

この場所で足錠が見つかったことで牢獄と特定されたそうです。

霊鷲山近辺から離れて午後には【竹林精舎】に向かいました。竹林精舎は確かに竹の林です。

竹林精舎の中のカランダカ池です。

この後、池の前でタイの信者が大勢でお経を唱えました。